2025年、本格的な回復軌道に乗ったインバウンド市場。しかし、旅行者の価値観はコロナ禍を経て大きく変化しました。特に「食」においては、単なる美味しさだけでなく、個々の信条や健康状態に寄り添う「多様性への対応」が、宿泊施設を選ぶ上での決定的な基準になりつつあります。
「私たちのホテルでは、特別な食事はリクエストがあれば対応しています」という姿勢だけでは、もはや不十分かもしれません。本記事では、宗教・嗜好・健康という3つの側面から訪日客の食事ニーズを解き明かし、それをいかにしてホテル・旅館の収益向上に繋げるか、具体的な戦略と実践的なロードマップを提示します。
この記事の要点
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宿泊施設の新たな選定基準: 訪日市場では「食事の多様性」への対応力が、予約を左右する重要な要素に。分かりやすい表示と、それを担保する厨房オペレーションの両立が鍵。
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効率的な管理体制: 宗教(ハラール等)、嗜好(ベジタリアン・ヴィーガン)、医療(食物アレルギー)という異なる背景を持つニーズを、一枚の運用管理表に統合するのが現実的な解決策。
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収益への貢献: 多様な食事への対応、特に朝食の満足度は、ポジティブな口コミを誘発し、新たな予約獲得に繋がる二次的効果が極めて大きい。
1. 無視できない3つのニーズ:宗教・嗜好・医療
訪日客の食事ニーズは、大きく3つのカテゴリーに分類できます。それぞれ配慮すべき点が異なるため、正しく理解し、優先順位をつけて対応することが重要です。
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宗教上の配慮(ハラールなど)
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内容: イスラム教のハラールが代表的。豚肉および豚由来成分(ゼラチン、ラード等)、アルコール飲料および調味料(みりん、料理酒)の使用を避ける必要があります。厳格な対応を求める方には、調理器具や食器の完全な分離(ムスリムフレンドリー対応)が求められることもあります。
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優先度:高。 信条に関わるため、不対応は深刻なクレームに繋がる可能性があります。
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個人の嗜好(ベジタリアン、ヴィーガンなど)
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内容: 健康、動物愛護、環境配慮などを理由に、菜食主義を選択する人々。肉・魚を避けるベジタリアン、さらに卵・乳製品・はちみつも避けるヴィーガンなど、多様な段階が存在します。近年、欧米豪からの訪日客を中心に急速に増加しています。
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優先度:中〜高。 市場の拡大が著しく、新たな顧客層獲得の機会となります。
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医療上の必要性(食物アレルギー、グルテンフリーなど)
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内容: 特定の食物に対するアレルギー反応を避けるための食事制限。アレルゲン(特定原材料8品目、推奨20品目)の正確な表示と、調理過程でのコンタミネーション(交差接触)防止が不可欠です。
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優先度:最重要。 命に関わる問題であり、ホテルの安全配慮義務として絶対的な対応が求められます。
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これらのニーズに個別対応するのは、現場の負担を増大させます。解決の鍵は、「ひとつのベース(基本)レシピから、各ニーズに合わせて分岐させる」という発想です。例えば、だしやスープストックを昆布や野菜から取るプラントベース(植物由来)で作り、そこから和食、洋食、そして各食事制限に対応したメニューへと展開させることで、オペレーションの負荷を大幅に下げることができます。
2. 今日からできる!メニュー設計の3つの基本パターン
複雑に見える多様な食事ニーズも、いくつかのパターンに落とし込むことで効率的に対応できます。
パターン1:ベース × トッピング方式 運用負荷を最も下げる、効果的な手法です。全員が食べられる共通のベースメニューを用意し、個別の要望に応じてトッピングを別皿で提供します。
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具体例:
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カレー: 動物性食材や乳製品を使わない「プラントベースカレー」を基本とし、トッピングとして「グリルチキン(ハラール対応可)」「素揚げ野菜」「チーズ」などを別添えで用意する。
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パスタ: トマトソースやオイルベースのパスタを基本とし、具材を分ける。
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パターン2:万能ソースの共通化 味の決め手となるソースやドレッシングを、あらかじめ多様性に対応したレシピで開発・共通化します。
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具体例:
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サラダドレッシング: 卵・乳製品不使用の「豆乳マヨネーズ風ドレッシング」や「和風オニオンドレッシング」を定番とする。
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煮込み料理: みりんや料理酒の代わりに、アルコールを飛ばした煮切りみりん風調味料や、ブドウジュース、甘酒などで甘みとコクを出す。
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パターン3:朝食ビュッフェの「特別コーナー」設置 特にニーズが集まりやすい朝食では、ラインナップの一部を「特別対応コーナー」として明確に区分けするのも有効です。
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具体例:
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和食ライン: 基本の白米、味噌汁、漬物に加え、「ハラール対応醤油」「動物性だし不使用の味噌汁」を用意。
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洋食ライン: 通常のパンに加え、「グルテンフリー米粉パン」「ヴィーガン対応(卵・乳不使用)パン」を並べる。
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3. 「伝わらなければ、存在しないのと同じ」- 表示とコミュニケーション戦略
どれだけ素晴らしいメニューを用意しても、その情報がお客様に伝わらなければ意味がありません。攻めのコミュニケーション戦略で、食事対応力をホテルの「強み」に変えましょう。
アプローチ1:ピクトグラムによる直感的な情報提供 アレルゲン、ヴィーガン、ベジタリアン、ハラール、グルテンフリーなどを、国際的に通用するデザインのピクトグラムで表示します。これを多言語(日・英・中・韓など)表記と組み合わせるのが基本です。
アプローチ2:予約からチェックアウトまで一貫した案内 情報は適切なタイミングで提供することが重要です。
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予約確認メール: 「当ホテルでは、多様な食事ニーズに対応しております。詳細はこちら」と専用ページへ誘導。
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客室内の案内: レストランのメニューと共に、食事対応のポリシーや相談窓口を明記。
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朝食会場の入口: 本日のメニューのハイライトと、ピクトグラムの一覧を掲示。
アプローチ3:デジタル窓口の設置 個別の細かい要望や質問に応えるため、専用の連絡窓口を用意すると親切です。ウェブサイトに問い合わせフォームを設置したり、QRコードを客室やレストランに掲示して、スマートフォンから気軽に質問を送れるようにしておくと、お客様の不安を解消し、スタッフの対応負荷も軽減できます。
4. 成果の測定(KPI)と収益インパクト
食事対応はコストではなく、未来への投資です。その成果を可視化し、経営判断に繋げるためのKPI(重要業績評価指標)を設定しましょう。
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顧客満足度:
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指標: 宿泊後アンケートの「食事」項目スコア、レビューサイト(Googleマップ、TripAdvisor、Booking.com等)の食事に関するポジティブな口コミの割合。
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インパクト: 「ヴィーガンでも安心して楽しめた」「ハラール対応の朝食が素晴らしかった」という具体的なレビューは、同じニーズを持つ次の顧客を呼び込む強力な磁石となります。
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稼働率・客室単価(ADR):
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指標: 食事対応を強化した後の、特定期間における予約率やADRの推移。
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インパクト: 食事を理由に選ばれるホテルになることで、競合との価格競争から一歩抜け出し、高単価でも選ばれるブランド力を構築できます。特に、食事に強いこだわりを持つ顧客層は、安心できる滞在に対して適正な対価を支払う傾向があります。
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コスト効率(廃棄ロス):
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指標: 食材の廃棄率、在庫回転日数。
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インパクト: メニューのベースを共通化・標準化することで、使用する食材の種類を絞り込めます。これにより、在庫管理が容易になり、発注量の精度が向上。結果として食品ロスの削減、つまりコスト削減に直結します。
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5. 導入のための4ステップ・ロードマップ
明日から全てのメニューを変える必要はありません。以下のステップで、着実に導入を進めましょう。
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Step1:既存メニューの分析とベース化(1ヶ月目)
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現在提供しているメニューを棚卸しし、原材料をリストアップ。卵・乳製品・アルコール調味料などを使わずに再現できる「ベースレシピ」を開発・検討する。まずはドレッシングやスープなど、一つからでOK。
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Step2:表示ツールと多言語テンプレートの整備(2ヶ月目)
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食事対応ピクトグラムを決定し、メニューカードやプライスカードのデザインテンプレートを作成する。よくある質問への回答集を多言語で用意しておく。
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Step3:小規模な試験導入(PoC)と効果測定(3〜6ヶ月目)
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まずは朝食ビュッフェの一品や、特定のランチメニューなど、範囲を限定して新しい運用をスタート。現場のオペレーションを確認し、お客様からのレビューやクレームを収集・分析する。
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Step4:本格展開と「ご当地要素」によるブランド化(7ヶ月目〜)
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試験導入の成果をもとに、対象メニューを拡大。多様性に対応した上で、「地元の有機野菜を使ったヴィーガンプレート」や「県産大豆のハラール対応味噌汁」など、その土地ならではの魅力を掛け合わせ、ホテルの独自性として発信する。
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まとめ:食事対応は、最高の「おもてなし」であり、最強の「マーケティング」
訪日客の食事ニーズへの対応は、もはや一部の旅行者のためのニッチなサービスではありません。お客様の安全と信条を守るという基本的な「おもてなし」であると同時に、ホテルの評価を高め、新たな顧客を呼び込み、収益を向上させる極めて有効な「マーケティング戦略」です。
ベースレシピの工夫と分かりやすい情報提供。この2つを両輪とすることで、現場の負担を最小限に抑えながら、最大限の効果を生み出すことが可能です。この記事が、貴社の新たな一歩に繋がることを願っています。
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